本学で平和について活動する学生団体「Green Pieces」は、2017年に発足し今年度で7年目を迎えます。これまで、平和に関する情報を発信する冊子の作成や、県内外で平和学習に取り組む児童?生徒?学生との交流、平和に関する国際交流活動などに取り組んできました。
今回、「Green Pieces」は、9月10日(日)に島根県雲南市内で開催された「第33回 永井隆平和賞 発表式典」の記念行事の講演者として招かれ、4年の鍛治美里さんと平山英恵さんが『如己愛人』というタイトルで、これまで活動や原爆?平和に対する思いを話しました。3年の津田匡達さんもアシスタントとして同行しました。
永井隆平和賞について
島根県雲南市は永井隆博士の生誕の地(同市の旧掛合町)です。永井隆博士の精神を若い世代に伝えるため、毎年全国の小?中?高校生と一般を対象に「愛」と「平和」に対する考えやメッセージを表現した作文を募集し、「永井隆平和賞」として表彰を行っています。
今年度の「永井隆平和賞」は約1,000の応募作品の中から、小学1年生から社会人の方までの19作品が入賞作品として発表されました。長崎市内の子どもの作品の入賞もありました。
※入賞作品一覧は雲南市ウェブサイトに掲載されています。
https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kosodate/syuugaku/heiwasyou/20200916_30th_nagai-prize.html
式典では各カテゴリー(小学生低学年、同高学年、中学生、高校生、一般)の最優秀作品の朗読もあり、いずれも永井博士の精神を受け継ぎ、心のこもった素敵な作品ばかりでした。
参加した学生の感想
鍛治美里(文化コミュニケーション学科4年)
私は3年程前から、この式典にお世話になっています。新型コロナウイルスの影響で去年まではリモートでの参加でしたが、今年は対面での参加が叶いました。その場の雰囲気や伝えたい相手の表情を確かめながら話をするということの重要性を今回、改めて実感しました。
人間が核兵器を使わなくなりまだ78年と日が浅いという事実に、平和を受け継いでいきたいという気持ちが高まった一方で、小学生の戦争体験者を祖父や祖母を通して身近に考えていた子どもの作文を読み、「時代が進むにつれ人類が戦争をしていたことを遠い時代の話にして欲しくないな」とも強く感じました。
一人一人の平和の在り方、考え方は全て同じとは限りません。今回の経験を通して、自分が思う平和、友達が考える平和などを、「対話」によって平和な世界を創造できる可能性を感じました。
平山英恵(文化コミュニケーション学科4年)
今回雲南市にお招きいただき、永井隆平和賞の授賞式に参加し記念行事として平和講話を行ってきました。受賞作品を拝読しましたが身近なところから平和について考えられたものが多くありました。そして多くの作品から、平和は自分たちの手で作っていくものだという意志も感じられました。
今回の平和講話のテーマは「如己愛人」としました。「隣人を自分のように愛しなさい」という意味で、永井先生が大切にしていらっしゃった聖書の言葉から引用しました。私たちの活動に加えて、純心女学校出身の被爆者岡信子さん、トマさんの愛称で親しまれた修道士小崎登明さんらの被爆体験と「思いやり」「人を許すこと」の大切さを伝えました。
島根県は永井隆博士、そして初代学園長の江角ヤス先生のご出身の地で純心と縁のある地です。雲南市の豊かな自然は長崎と少し似ているように感じました。長崎から500キロメートル以上離れた場所で、私たちと同じように平和を想う方がいるという事実は勇気を与えてくれました。被爆者の数が年々減少している今、被爆体験の継承を与えられた使命と捉え、これからも原爆や平和について考え発信していきたいと思います。
津田匡達(文化コミュニケーション学科3年)
私なりの「平和」の意味を紐解く旅路は、戦争する世界を目の当たりにして平和活動に参加したことから始まりました。その活動の中で、永井隆博士が「平和をもたらす唯一の方法は愛である」と語っていたことを知りました。
この博士の信念との出会いが私の心に深い影響を与えていましたが、この度私は永井隆博士のふるさとを訪ねる機会に恵まれました。目的地は、博士が幼少期を過ごした島根県の雲南市です。授賞式に先立ち訪れた永井隆記念館では、館長が私たちを温かく迎え入れ、博士の話を語ってくださいました。その物語は、愛と命の尊さに満ちており、戦争の記憶と対照的でした。
参加した永井隆平和賞発表式典では、子どもたちが自分たちの力で現状を変えることができると信じていることを学びました。また先輩の鍛治さんと平山さんの話を通して、愛が戦争をなくす唯一の方法という信念を共有する人たちの歩みや平和のために私たちができることについて考えを深めました。
人々が永井隆博士を知る機会を得たことで、博士の信念は私たちに継承され、博士は今日も平和に貢献し続けているのだと思います。今回の雲南市訪問では、「隣人愛」が戦争をなくす唯一の道であるという信念に従って、情熱と決意で織り成された人々の姿が「平和」そのものであったと実感しました。
永井隆博士の生涯
永井博士は長崎医科大学をご卒業後、同大で勤務される中で大学内にて放射線医学の研究により白血病に侵され、さらに昭和20年8月9日の原子爆弾により重傷を負われました。そのような中で原爆投下直後から被爆者の方々の救護活動や「原子爆弾救護報告」の執筆にあたられ、その後も病床にありながらも「長崎の鐘」、「この子を残して」などの数多くの著作を残されました。そして昭和26年にその生涯を閉じられるまで、平和の願いを世界に訴え続けられました。昭和24年に長崎市の名誉市民の称号が贈られました。
※永井博士の生涯について、詳しくは長崎市永井隆記念館ウェブサイトの説明をご参照ください。
https://nagaitakashi.nagasakipeace.jp/japanese/stories/1.html
雲南市は学校?家庭?地域連携の先進地でもあり、顧問の水畑が教育行政に携わっていた20年間ほぼ毎年訪問し、地域の教育関係者と意見交換を続けてきた場所です。コロナ禍が少し落ち着き4年ぶりに、今度は学生と一緒に同地を訪れることになり深いご縁を感じています。
Green Pieces顧問 水畑(文化コミュニケーション学科教員)